からすを檻の中に残して、広くはない部屋を彷徨く。
生活感はほとんど無いが、小さな窓側にサボテンが置かれていた。植木鉢には油性ペンで「ともだち」と書かれている。部屋の隅には布団が無造作に敷かれていた。
(やっぱからすはここに住んでいるのか…?)
部屋は檻があるここひとつだけか…あそこが玄関ね。キッチン、お風呂、トイレはある。洋式トイレの後ろに俺の荷物…リュックが隠されているのを見つけた。
(こんな所に置くなよ、きったねぇ!)
汚い成分をはらい落とす気持ちで、床との接地面を手でばしばしと叩いておく。
それから灯りを消して、外に出た。
もうすっかり暗くなっている。生暖かい夜風…今日も星一つ見えない都会の空。
ここはアパートの一室だったようで、俺が乗せられた黒い車が停まっているのも見える。
見渡すと、その景色には見覚えがあった。
(ここ、ゆずは先輩の家の近くじゃねぇか!)
先輩の家にはその場のノリもあって、1度だけお邪魔したことがあった。確か先輩が珍しく観てみたい映画があるなんて言うから、なら2人で観る?って話になったんだっけ。
仕事終わりに2人でショッピングモールへ寄り、缶チューハイを何本か買ってから、先輩の家へ行った。それを片手に、映画を観たんだ。
(高校生とかが観るんじゃねえの?っていうトキメキ溢れた恋愛映画を観ながら静かに涙を流している哀愁漂う先輩の姿が印象に残っている。…意外な一面を見られた気がしてちょっと面白かった。)
その日以来、先輩とは毎日昼飯を一緒に食うような仲になれた。
先輩はいつも自転車でバイト先に来ている。なんだよ、じゃあここ割と近くじゃねぇか…。俺に「遠いところに連れてこられた」と思わせて、不安を煽る為に遠回りしていただけかよ。
…まぁ考えてみればそうか。
標的である俺はいつも天国や現実世界をフラフラしている。けれど職場にだけは変わらずにやってくるのだから、その近くを拠点にした監視しやすくていい。ストーカーっぽかったし…俺が働いている様子をどこかから眺めていたのだろう。気持ちわりぃ。
(…そういや今日は唐揚げ食い損ねたし、退勤してから何も食ってねぇな。)
別に星の化身である俺は人間みたいに毎日食わなきゃ死ぬことはないけれど、美味いからって理由で毎日食っていたら、自然と腹が減るようになっちまったんだ…。食欲ってやつ?
今や毎日3大欲求満たしていないとイライラしてくる…。
先輩と寄ったショッピングモールはここからそう遠くなかったはずだ。歩いて15分とか20分とかそれくらいだろ。リュックの中の財布を確認すると5000円札が入っていた。
(食い物でも買おうか。)
俺はショッピングモールへと足を進める。
(そういやからすは飯食うのかな…。)
歩いている途中、ふとそんなことを考えた。
俺はからすをどうしたいんだ…。
俺に惚れている、何でも言う事を聞く玩具。力でねじ伏せて言うことを聞かせている悪魔とは違い、あいつは自らの意思で喜んで俺に従うんだ。
あのままずっと閉じ込めて、退屈しのぎに遊んでやるか?
…いや、退屈しのぎって言葉には収められねぇな。
だってこんなに心が浮かれる、掻き立てられる感情があったなんて、知らなかった。
ああそうだ、どこまで俺の言うことを聞くことが出来るのか試してやってもいいな。反抗したら?お仕置だ!
ワクワクする。あいつはもう、俺のものなんだ。
きもいし変だけど面白いやつ。
…早くその、煌めく瞳をまた見たい。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ショッピングモールで食べ物を買った俺は、からすの待つ「家(うち)」に帰った。スイッチを押して薄暗い灯りをつけ、窓を少し開ける。それから檻の中でぐったりとくたびれているからすに声をかけた。
「からす、起きろよ。飯の時間だ。」
「…!!」
俺はからすの猿轡を外す。頬に残る、強く締め付けていた赤い跡。
「顎が…がぁ。」
「からすは飯、食えるの?食う必要あんの?」
「わっ、わたしはある程度何か食べないとエネルギー不足になって、眠ってしまうんだ。今もエネルギー不足気味で腹が減っている、体が重くて仕方がない…。」
「じゃあ、丁度いいな。俺が食わせてやるよ。」
「ぅぇええ!?げほっごほ、さ、さくら君が、わたしに、あ〜んしてくれると言うのか!?顎の痛み消失…/////」
俺はビニール袋からショッピングモールで買った「苺」を取り出す。大粒の真っ赤に熟れた、箱に入った苺。
「てっきり窓際に置いてるサボテン(ともだち)か、土か何か食わされるのかと思ったぞ…本当に!?苺なんて美味いものをわたしに!?」
「…いちいちうるせぇな。こっちの猫缶(カツオ味)に変えて欲しいのか?」
「ね、猫缶も買っていたのだな…。」
俺は檻の前に座り、苺のヘタをとりながら、からすを見やる。乾いた長い前髪がまた、からすの顔を、瞳を隠している。
「なぁ、その前髪邪魔だから切っていい?苺食わし辛いし、見ていて鬱陶しいんだけど。」
「さくら君の好きな様にしてくれ!!!!!」
俺は苺をいったん端に寄せ、別のビニール袋からハサミを取り出した。パッケージをバリバリと開ける。初めから嫌だと言われても切ってやるつもりで、ペットショップで猫缶を買うついでに、散髪用のハサミも買っていたんだ。(ちなみに猫缶はお仕置用だ。)
ハサミを持って、からすと向かい合う。柵の間に手を入れ、その黒い前髪をジョキジョキと切っていく。
切られた毛の束が落ちる度に、白い肌と、血色のいい唇が露わになっていく。長いまつ毛に、落ちた髪が引っかかる。ときどきそれを手ではらいながら、俺は悩み悩む…。
(切り方わかんねぇな…切りすぎたかもしれねぇ…いや、切りすぎたな。
あーぁ切りすぎたな!!!)
眉の位置よりは長く残すつもりが、いつの間にか短くなっていた。しかも、良かれと思い微調整する度に、横真っ直ぐに揃っていく…。
俺は思わずぷぷっと笑ってしまった。
「なんだ、笑えるくらいに最高の前髪に仕上げてくれたのか?」
そっと目を開けたからすと、ばっちり目が合う…。
「からす…やっぱ綺麗な顔、してるじゃねぇか。」
「ぁあ!?さ、さくら君、そんな…き、綺麗だなんて、わたしの心をこれ以上かき乱さないでくれ/////これから苺タイムが待っているという事実にも心が追いついていないのに…ぃ」
「相変わらずいちいちうるせぇなぁ。」
俺は苺の入っている箱を避難させるように持ち上げて、落ちた髪を足で部屋の隅へと適当にはらっていく。その様子を少し不安気に見ていたからすはぼそぼそと話し出した。
「わ、わたし、侵略者なのに…本当に苺食べさせてもらえるのか?わ、わかっているんだぞ。こう…口開けてあ〜んって苺食べる直前に、「ばーか」って殺されるんだろ…?いいんだ、それでも構わないんだ。今感じている期待感だけでも幸せなんだ…さくら君へのラブがわたしの頭をなでなでしているみたいだ…。」
「何訳の分からねぇこと言ってんだ…。ほら、口開けろよ。」
俺はからすの口元へ苺を近づける。
「…!」
そっと口を開き、輝く瞳で苺を齧ったからす。俺ももう片方の手で別の苺を手に取り1口齧った。
「はは、あま、うめぇ。俺、苺好きなんだよな…こんな箱入りの奴は滅多に食わねぇけど。からすは?」
「…う、うまい。うますぎる…お、おい、さくら君、もう飲み込んじまうぞ…?いいのか?本当に、殺さないのか?」
「はぁ?殺さねーよ、玩具にするっつったろ。しかもまだ残ってるだろ苺。流石にあと10個も1人じゃ食いきれねーよ。」
「幸せだな…」
とろんとした火照った顔で、照れくさそうに、嬉しそうにまたひとつ、またひとつ、俺の手から苺を食べるからす。
俺のことが好きな顔。惚れてる顔。夢中な顔。
頭がぼーっとする。
…俺を殺せないからす。
窓から差し込む月明かりが冷たい鉄格子と、人ならざる俺達を照らす。
流れ泳ぐそよ風に、黒い髪とピンク色の髪が靡く。
…俺が殺せないからす。
お仕置なんてきっとできないな。自分の気持ちにはもうとっくに気がついていた。